米EPAが火力発電所の温室効果ガス規制撤回、環境団体が提訴
2026年9月14日、米環境保護庁(EPA)は2024年に策定した火力発電所の温室効果ガス排出規制の大部分を撤回する最終規則を発表し、残るすべての基準の取消しもあわせて提案した。EPAは3,100億ドル規模の節減を主張する一方、環境・公衆衛生団体は3日後にワシントンD.C.の連邦控訴裁判所に提訴した。大気浄化法の権限解釈を巡る法廷での攻防が始まっている。
発電所規制の「2段構えの撤回」と3,100億ドルの試算
EPAの発表によれば、リー・ゼルディンEPA長官は9月14日、テキサス州ヒューストンで開かれていたG20のエネルギー閣僚会合「Energy Abundance Ministerial」の席上で、2024年の炭素汚染基準(Carbon Pollution Standards)の大部分を撤回する最終規則を発表した。EPAはこの撤回によって業界全体で3,100億ドルのコスト削減が見込まれると試算している。あわせて、電力部門に残るすべての温室効果ガス排出基準を取り消す提案も公表し、こちらが最終化されれば直接の遵守コストでさらに3億7,000万ドルが削減されるとしている。
ゼルディン長官は声明で「15年以上にわたり、オバマ政権とバイデン政権は石炭への戦争を実施し、信頼できる手頃なエネルギーを破壊してきた」と述べ、撤回が電気料金の低下につながると主張した。EPAは電力用の石炭生産が10倍以上増加するとの見通しも示している。内務長官で国家エネルギー支配評議会(NEDC)議長のダグ・バーガム氏も声明を出し、前政権期の気候政策の転換だと強調した。
ここで留意すべきは、3,100億ドルという数字をはじめ各種の効果はいずれもEPA自身の試算だという点である。2024年規則は炭素回収・貯留(CCS)などの技術導入を排出基準の履行手段として位置づけており、撤回側の試算はこの技術コストの見積もりに大きく依存している。独立した機関による検証を経た数値ではなく、前提が変われば結論も変わりうる。
「大気浄化法に権限がない」という法解釈の大転換
今回の撤回を支えるのは、法律解釈の転換である。EPAは2024年規則について、大気浄化法(クリーンエア法、CAA)の下で「十分に実証されていない」制御技術を要求し、実質的に発電所の退役を強制するもので、同法が付与する権限を超えていたと判断したと説明している。また同規則は、EPAによる国民のエネルギー選択の操作を禁じた最高裁判所のWest Virginia v. EPA判決(2022年)を考慮していなかったとも主張した。
さらに際立つのは、残る基準の取消し提案の論理だ。提案は、2009年の『エンデインジャー・ファインディング』(温室効果ガスが公衆衛生と福祉への危険をもたらすとするEPAの認定)の撤回と、連邦機関の解釈への司法の従属を廃した最高裁Loper Bright判決に言及したうえで、CAA第111条は気候変動を根拠として発電所の排出を規制する権限をEPAに与えない、との立場を示した。EPAは発電所由来の温室効果ガスが地球規模の気候に物質的な影響を与えないとするモデル評価にも言及しているが、これは規制側の評価であり、既存の気候科学の評価枠組みとの整合性は提示されていない。
発表3日後に始まった法的攻防
規則の司法審査を待たず、環境・公衆衛生団体は9月17日に行動に移した。EDF(環境防護基金)などの発表によれば、NRDC(天然資源保護協会)、米肺協会、米公衆衛生協会、Clean Air Council、Clean Wisconsin、EDFの各団体がこの日、ワシントンD.C.の連邦控訴裁判所(D.C.サーキット)に提訴した。訴訟側は、代替基準を設定せずに規制を撤回したことは大気浄化法上の義務違反だと主張している。
EDFのヴィッキー・パットン法務責任者は「この規則による発電所汚染の増加は、数千人の早期死と数十億ドル規模の追加の健康コストを引き起こす」と述べた。NRDCのメリディス・ハンキンス連邦気候法務ディレクターは「代替なしの基準撤回は、公衆衛生と環境を守るEPAの法的責任の放棄だ」と批判した。訴訟側は「大気浄化法と最高裁判例は、国内最大の産業排出源である発電所の気候汚染にEPAが対処することを求めている」とも述べており、法解釈を巡る両者の主張は正面から対立している。
官報掲載後の手続きと、科学評価を巡る残る問い
EPAは取消し提案について、連邦官報(Federal Register)掲載から15日以内に公聴会を開き、45日間のパブリックコメント期間を設けるとしている。最終規則の側も司法審査の対象となり、今後数年単位の係争が見込まれる。訴訟側の声明は国連の分析が示す温暖化の軌道にも言及し、「容易に達成可能な炭素基準を軽率に捨てている」と批判した。一方、EPAは当該規制の便益が「事実上ない」との立場を崩していない。
争点は大きく二つに整理できる。第一に、CAA第111条の権限範囲という法解釈であり、これは最高裁の判例動向に左右される。第二に、2009年認定をめぐる科学的評価の取り扱いである。米国の排出規制は、行政手続きの中で科学的知見を評価し、それを法的判断の基礎としてきた歴史がある。今回のEPAの評価が訴訟過程でどう検証されるのかは、気候科学と行政法の接続点における重要な先例になるだろう。


