米NIH助成金への政治審査案、与野党の反発で頓挫——査読制度を守れるか
米ホワイトハウスが、査読を経たNIH助成金の採択に政治任用者による委員会の最終決定権を与える大統領令案を準備しているとの報道から4日後、案は棚上げされたと報じられた。上院歳出委員会の与野党トップが相次いで反発した結果であり、査読制度の独立性を巡る攻防が米国の研究資金政策の焦点になっている。
「査読の後」に政治委員会——報じられた大統領令案の中身
9月20日、米メディアが、トランプ政権が米国立衛生研究所(NIH)の助成金交付に政治的な管理を加える大統領令の草案を準備していると報じた。報道によれば、9月18日にホワイトハウスで開かれた会議で行政管理予算局(OMB)のラッセル・ヴォート局長が「NIHは政権の目標と整合しない研究に資金を提供している」と主張し、これを受けて作られた草案は、政治任用者(ヴォート局長自身を含み、NIHのジェイ・バタチャリア所長も加わる形)で構成される委員会が、法律で定められた査読プロセスの後に助成決定への最終的な発言権を持つ仕組みを掲げていたという。草案の本文は公表されておらず、存在自体も報道ベースの情報である点には注意が要る。
これに先立つ9月21日、上院歳出委員会の民主党側筆頭副委員長パティ・マレー議員は声明を発表し、案について「NIHが資金提供先として選んだ助成を却下できる外部審査委員会」を設けるものだと説明した上で、「救命になる医学研究が資金を得るかどうかはNIHの専門家が決めるべきで、トランプ氏とヴォート氏が選んだ追従者のパネルが決めるべきではない」と批判した(上院歳出委員会の声明)。
4日間で崩れた経緯——歳出委員長の書簡が効いた
9月22日、上院歳出委員会の委員長で共和党のスーザン・コリンズ議員が、ヴォート局長とバタチャリア所長あてに書簡を送り、案の中止を求めた。書簡は、案が「科学的価値ではなく政治的イデオロギーに基づいて生物医学研究に資金を配分する」ことになりかねないと指摘。NIHの直近の大規模改革が2016年の21世紀治癒法(21st Century Cures Act)だったことに触れ、「政権がNIHの追加改革を求めるなら、大統領令ではなく立法提案として議会に提出せよ」と求めた。
9月23日、複数の米メディアが政権が案を事実上取り下げたと報じた。コリンズ議員も案は「事実上死んでいる」と述べたと伝えられている。ただしホワイトハウスは公式にコメントしておらず、一部報道は改訂版が11月の中間選挙後に再提出される可能性に言及している。
書簡がMerit審査の価値を説明する材料として挙げたのは、具体的な治療の進展だ。アルツハイマー病では議会の継続的な投資により早期段階での識別が可能になり、介入効果が最も見込める時期での発見につながっている。1型糖尿病では初の幹細胞治療がFDAの承認を取得し、治験参加12人のうち10人が治療1年後もインスリン投与を必要としなくなった。査読制度が研究成果と結びついてきた具体例として示されたもので、政治審査の導入がこの流れを損なう懸念が述べられている。
査読の独立性を支える法律と、議会による前例の封じ
コリンズ議員の書簡が依拠するのは、米連邦法42 U.S.C. §289aが定める査読の法定プロセスだ。NIHへの資金申請は外部専門家の委員会による学術的価値の評価を経て、資金を出す研究所の諮問委員会が審査し、研究所の指導部が最終決定する。書簡は、このプロセスの厳格さこそがNIHの成功の鍵であり、NIHに在籍するかNIH資金で研究する科学者174人が104件のノーベル賞の単独・共同受賞者となってきた実績につながったと指摘する。
さらに重要なのは、同種の試みを議会がすでに封じた前例だ。OMBが「ユニフォーム・ガイダンス」改定案で進めていた助成プロセスの政治化に相当する条項は、2026年9月初めに成立した2027会計年度の暫定予算法(継続決議)第157条で阻止済みである。政権が大統領令で同じ内容を実現しようとすれば、議会の意図を迂回する形になる。9月25日には、マレー議員とタミー・ボールドウィン議員を筆頭に31人の議員がヴォート局長に書簡を送り、「規則案、大統領令、その他の手段を問わず、NIHの助成決定への政治的支配の計画を放棄せよ」と求めた。同書簡は5,780件・推計150億ドルの助成が打ち切りや混乱の影響を受けたと主張するが、これは署名者側の集計であり独立した検証はない。
NSFの採択ペースが示す研究資金の冷え込み
NIH以外でも研究資金の流れは鈍っている。業界紙Inside Higher Edが9月21日に報じたところによれば、米国立科学財団(NSF)の2026会計年度の助成決定は9月12日時点で6,200件・63億ドルにとどまり、前年会計年度同時期の8,600件・81億ドルを大きく下回る。2021〜2024年会計年度には毎年1万件超だった。8月20日頃から採択はほぼ停滞し、10億ドル超が保留されているという。多くはホワイトハウスの「Grand Research Challenges」構想に紐づくとされる。ただしこれらの数値は米政府支出データUSAspendingを基にした第三者トラッカー「Grant Witness」の集計であり、NSF自身の公式報告値ではない点は割り引いて読む必要がある。
同じ週には、政府会計検査院(GAO)が南極支援契約を巡る入札抗議の決定(B-424575)の公開版を公表した。NSFが6月にKBR社へ発注した南極科学支援契約は20年・上限80億ドル規模で、年間を通じて運用される3つの観測基地と2隻の研究船をカバーする。GAOは、提案書が明記しない関連会社の過去実績をKBR社に不当に加算したと判断し、再評価と新しい総合比較分析、抗議費用の償還を勧告した。調達手続きの公正さを巡る判断であり、採択ペースの問題とは別の論点だが、NSFの資金執行に対する外部審査が強まっている状況を映している。
棚上げは終着点ではない——再燃しうる3つの条件
この攻防は終着ではなく途中経過と見るのが自然だ。第一に、棚上げは報道ベースで、政権が公式に撤回したわけではない。第二に、改訂版大統領令が中間選挙後に再提出される可能性が一部で報じられている。第三に、連邦政府は12月11日までの暫定予算で運営され、下院は11月9日まで休会中で、上院も2027会計年度の委員会配分を決めていない。予算を通じた制度的チェックが本格的に動くのはこれからである。
査読による資金配分はNIHに限らず、世界中の研究助成制度の基本設計だ。日本の科学研究費も専門家審査を軸に組み立てられている。政治的判断を査読工程のどこに位置づけるのか——本件の論点は、米国の国内問題にとどまらず、研究システム全体の信頼性を考える上で共通の問いになっている。


