ヒト脳組織がマウス脳の9割を満たす――「空間競争」を消す新手法が開く道
スタンフォード大などのチームは9月16日、ヒト幹細胞由来の皮質オルガノイドを、大脳皮質を遺伝的に欠くマウスの新生仔に移植する手法「ゼノコーティケーション」をNature誌に報告した。移植されたヒト組織は3カ月で皮質容積の9割超を占め、マウスの神経系と機能的に統合した一方、行動や知能を高めることはなかった。ヒトの脳発達と疾患を生きた体内で調べる実験系として、治療開発への応用が期待される。
空間を奪い合う――従来の移植法が抱えた限界
生きたヒトの脳組織を直接調べることはできない。この制約を埋める手段として、ヒトiPS細胞などから三次元的に育てる「脳オルガノイド」が利用されてきた。ただし培養皿の中のオルガノイドには血管がなく、身体との信号のやり取りもない。そこで研究チームは2022年、新生ラットの脳へヒト皮質オルガノイドを移植し、ヒト神経細胞が成熟して宿主の感覚経路とつながることを示した(Nature 2022年論文)。ただし今回の論文によれば、この従来法ではヒト組織がラットの大脳皮質半球の最大3分の1程度しか占められなかったという。
壁は物理的な空間だ。齧歯類の神経細胞はヒトのものより速く成熟するため、ヒト神経細胞が結合を作り始める頃には、宿主側の細胞が使える空間の大半を既に占有してしまう。大規模な回路の乱れを伴う神経発達症を調べる際、この競争が特に問題になると論文は指摘する。
「競争を消す」――皮質を欠くマウスに移植する新手法
研究チームが今回確立したのは、競争そのものを取り除く発想だ。遺伝子工学的な方法で大脳皮質と海馬のグルタミン酸作動性ニューロンを発達早期に欠失させた「無皮質(アパリアル)マウス」を作製し、その生後数日の皮質腔にヒト幹細胞由来の皮質オルガノイドを移植して「ゼノコーティカルマウス」を生み出した。この一連の手法を、論文は「ゼノコーティケーション」と呼ぶ(Nature 2026年9月16日付論文)。
南カリフォルニア大学のGiorgia Quadrato氏は、Nature Newsの取材に「本当の革新は、空間をめぐる競争を取り除いたことだ」と評している。
4.7倍に成長し、皮質容積の91.9%を占めたヒト組織
結果は数値で示される。MRIに基づく定量化では、移植後2〜3カ月の間にヒト組織は約4.7倍に成長し(解析マウス14匹、2系統のヒトiPS細胞)、3カ月時点で結合皮質容積の91.9%を占めた(マウス7匹)。ニューロン密度は1mm³あたり約32,000個と報告されている。
組織はヒト皮質の多様な細胞種へと分化し、第5層の皮質外投射ニューロンなども確認された。Nature Newsの報道によれば、社会性認知に関連するとされる大型の紡錘形細胞「フォン・エコノモニューロン」に似た細胞も生じており、この細胞が培養皿で出現した例はこれまでないという。論文著者の一人でスタンフォード大学のSergiu Pașca氏は同誌に、この細胞類型は前頭側頭型認知症など神経変性疾患で最も傷つきやすい細胞群だと説明している。
移植組織はマウスの神経系に線維を伸ばし、脊髄の深部まで達する投射も観察された。生体内での移植組織全体を対象としたカルシウムイメージングと電気生理学的解析では、発達中の回路を思わせる組織化された活動パターンが記録されたという。
マウスは「賢く」ならなかった――行動解析が示す統合の実態
キメラ動物への倫理的な懸念に対して、行動データが一つの答えを示した。教師なし機械学習を使った自発行動の解析(MoSeq)では、ゼノコーティカルマウスの行動レパートリーは対照群と無皮質群の中間に位置しつつ、いずれとも区別された。運動は概ね保たれ、変化は肢の協調など選択的な差にとどまったという。
無皮質マウスでは、皮質や海馬が必要な課題(CatWalk装置による微細運動の協調、Y迷路による作業記憶)で欠損が見られた。このパターンはゼノコーティカルマウスでは部分的にしか現れていない。
Nature Newsの報じるところでは、行動試験でヒト組織が齧歯類の知能を高めた証拠はなかった。研究に参加していないケンブリッジ大学のMadeline Lancaster氏は「目的は明らかに超知能のマウスを作ることではないし、そもそもそうはならない」と同誌に話している。移植が脳の基本配線の成立後、生後数日で施されることも、ヒト細胞が複雑な思考を担えない理由の一つだと同氏は指摘する。
障害モデルで実証された疾患研究への道と、倫理の関門
この実験系の実用性も検証された。低酸素負荷による発達中ヒト皮質細胞の障害モデルで、ゼノコーティカルマウスに細胞応答とCatWalk課題での欠損が生じたのである。ヒト細胞への障害を行動出力として読み出せたことを意味する。Pașca氏は「ヒトの脳をユニークに、そして独特に病気にかかりやすくしている要因を理解する、非常に強力な新しい系を得た」とNature News(16日付記事)に述べている。
応用の見込みとして同氏が挙げるのは、脳性まひなど脳発達の異常に関わる疾患の研究と薬剤評価だ。研究チームは2024年にも、従来型の移植ラットを使い、自閉症やてんかんと関連する遺伝性疾患チモシー症候群に対するアンチセンス核酸の効果評価に成功している。
なお、ヒトと動物のキメラ研究には倫理的な懸念がつきまとう。Pașca氏によれば、今回の研究は独立したバイオエシクス委員会による審査を含む広範な監督のもとで実施されたという。ヒト組織がマウスの脳の大半を置き換えたという事実をどう受け止めるかは、データだけでは答えの出ない問いでもある。


